私の趣味


アマチュア無線

アマチュア無線とは、
金銭上の利益のためでなく、個人的な無線技術の興味によって行う自己訓練、通信、技術的研究の業務を言います。
アマチュア無線の免許
無線従事者と無線局の免許が必要です。
国家試験(又は養成課程)があるのは無線従事者の方です。 第1級から第4級までのアマチュア無線技士です。(プロの資格で出来る場合もあります。)
アマチュア無線局は、無線従事者であれば国籍に関係なく申請できます。 (他の国で受けたライセンスも有効な場合があります。)
新制度として、1997年2月24日告示で、ゲストオペレータ制度(お客さんに運用させることが出来る制度)が認められました。(参考資料、諸外国のゲストオペ制度) 。 1998年5月20日付郵政省電気通信局長よりの回答文書で「公衆回線網との接続」 フォーンパッチ制度が公認されました。(これによって、アマチュア無線とインターネットの接続実験が可能になりました。)
1999年11月それまですべて紙書類であったものが、一部FDによる手続きが可能となりました。(郵政省提供のソフトです。)
2002年3月22日告示でISS(国際宇宙ステーション)との交信については、一定の条件下で免許を有しない児童生徒にも、認める事になりました。
これは、宇宙ステーションを使った「スクールコンタクト」計画の実施を円滑にするために執られた特別な処置です。
私の免許等
無線従事者の資格は、1954年に第2級アマチュア無線技士をとり、現在は第1級アマチュア無線技士です。
アマチュア無線局の呼出符号は、JA6PLです。 1956年4月に本免許(落成検査合格)になりました。
呼出符号は、地球上で一つと決められています。 JA は日本を、6 は九州を、PL は九州でAAから始まって402番目を、それぞれ表しています。
1999年9月から、呼出符号の不足対策としての再割当で、九州地区ではJA6から始まりました。
このため、AAAからの3文字部分では、前記計算どおりではない局が現れています。
無線を使う多くの通信方法の中から、電話、モールス電信、データ通信、アマチュア衛星通信等の免許を受け、国内や海外との交信をしています。
太陽活動が11年周期で変わりますが、2000年は上昇期に当たり、海外との通信が活発でしたが、2001年からは下降期に入りました。
1999年6月にはじまったFDを添付する免許申請方法から、2004年3月電子申請へと進歩しました。6月手始めに送信機1台撤去についての変更を電子申請でしました。
所属する無線団体等
JARL日本アマチュア無線連盟、日本で唯一のアマチュア無線の社団法人で,IARU国際アマチュア無線連合に加盟しています。
JARL北九州支部、JARLの下部組織で福岡県の北東部区域が管轄範囲ですが、2000年5月に組織改正により福岡県支部になりました。
JARL八幡クラブ、1955年に北九州クラブが発展的に解散し当時八幡市に設立された無線クラブです。
 北九州市八幡東区、八幡西区を中心にしたクラブですが、メンバーには市外に居住する人も含まれ総数約120名です。
 機関紙HAM YAHATAが毎月発行されています。 これに「アマチュア無線は今」〔アマチュア無線の課題などのコラム)を寄稿しています。
 2001年5月4日リニューアルして、「IT−八幡」(IT−YAHATA)となり、メンバーも一新しました。
 すべて電子処理ということで、紙を排除した組織つくりに取り組んでいきます。
     2008年9月6日解散しました。Web・MLなどの残務整理を11月11日終了しました。
 
@4021パケット通信協議会、アマチュア無線のRBBSのSYSOPをしています。 そのためのDOS/V機はUSAからの個人輸入です。 2007年8月6日、1992年から約15年間、SYSOPやってましたRBBS局を、下流局の閉局に伴い、無線によるリンクを解消し、閉局しました。
JAMSAT日本アマチュア衛星通信協会、アマチュア無線で使用する衛星の製作運用などの技術指導をしている団体に加盟しています。
コンピュータとの付き合い
北九州のアマチュア無線有志で勉強会を始め、ワンボードマイコンから入門し、PC−8001が出たときに飛びつきました。
当時ソフトは、BASICで作っていました。ドット操作で、はがき大の絵を約1カ月掛けて書いたのが思い出になっています。
その後、PC−8801をとばして、PC-9801にグレードアップし、深みにはまりました。 アマチュア無線とコンピュータはどう関係するかを常に考えていました。
昔自作で始まったアマチュア無線も、企業が手を付けるようになり、技術的にも進歩を続け、コンピュータとの結合も早くからなされました。
それまでは、電話か電信であったのが、データを送りたいと考えるようになり、PC−8001の録音端子を使っていきなりデータを電波に乗せました。
今ではパケットという手法で楽に行くのですが、当時はまだ始まったばかりで、TNCがやっと日本に数台輸入された頃です。
最近では、Linuxでのパケットをという事で勉強を始めました。 また、二部屋にわかれているコンピュータ数台をLANでつなぐ準備中です。と書きましたが、1998年7月現在では、LinuxからFreeBSD(2,2,6J)に転向して、Win95機ともLANでつながりました。
1999年6月FreeBSD(2.2.7J)でWWWサーバーを立ち上げました。 他のWIN95機3台から、見るだけの家庭内乱(LAN)です。
1999年7月 Debian GNU/LinuxでWWWサーバーを立ち上げてみました。 次々と新しいディストリビューションが出てくるので、勉強が大変です。 8月 Debian でアマチュア無線用RBBSをしたいと考え挑戦、若干の困難性から、plamo/linuxを導入し、アマチュアムセンのRBBS(XFBB)による転送実験に成功しました。
1999年12月 問題のY2K対応のtestをしたところ、パケット用のBBSソフトを更新する必要に迫られ、フランス製のためインターネットを利用してフランスより入手、入れ替え、現在順調に稼動中です.。
2000年秋頃パソコンの内蔵サウンドカードを利用するSSTV(スロースキャンテレビ)用ソフトの国産品(MMSSTV)が出来たことを知り、しかもフリーという事で早速導入しました。
試用の結果は素晴らしいものでしたので、アマチュア用衛星AO-40で使うために、2001年5月追加申請しました。
2003年5月 MMSSTV作者が作成した、これまた世界を席巻しているMMTTY(RTTY=無線印刷電信)を導入しました。
調整に戸惑いましたが、どうにか出来たと思ったときに聞こえてきたのが、南極昭和基地の8JIRLでした。
何度か呼んだあと、画面に「JA6PL DE 8J1RL」と文字が出てきたときは、久しぶりの感動でした。


(Last Updated 06 February, 2010 )

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